ミズキユウタ30歳による、映画や音楽やお笑い芸人やその他イロイロについて思ったことと&何気ない日常を綴るブログです。


by hotel_rwanda
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 7月22日の活動日誌内にある「某映画祭の主催者の一人」の方に、先日お会いした際に「東京国際映画祭」に問い合わせてみたらどうか?と言われ。そして言われるがままに問い合わせてみた。
 
 と言っても、『ホテル・ルワンダ』は既にアカデミー賞はじめ、世界各地の映画祭で話題になっている作品なので「コンペティション部門」での上映はありえないであろうと。なのでひょっとして「特別招待作品」みたいな感じで上映の可能性はないのでしょうか・・・ということで、とりあえずメールを出してみて3日程経過したが返答はない。まあもともと期待はしていなかったが、とりあえず「これやってみたら」と言われて、実際にすぐできることならば、やってみようと、最近は特に強くそう思う。

 今週は、「ルワ会」はじまって以来とも言える大きな動きがあった。糸井重里さんのサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」内で、鈴木すずきちサンが「ホテル・ルワンダ」に関するコラムを掲載してくださった。「ほぼ日」と言えば、webの世界では、もうそれはそれはとてつもない大きな存在だ。そこで紹介してくださったのである。それによって、「ルワ会」HPへのアクセスは、HP開設以来最高ともいえる数字を記録した。
 
 しかも翌日には糸井重里さん御本人による紹介もあり、その勢いは更に増すこととなった。ちょうど、同タイミングでweb署名の導入もはじまり、HP内のコンテンツも大幅にリニューアルされ、一気に「ルワ会」が加速した一週間だった。正直、ついていくので精一杯なところも否めないが・・・。

 web。
 もともとはwebではじまった、はじめたこの運動。「web」という言葉には「クモの巣」という意味がある。この一ヶ月半、いろんな方がいろんなやり方で、「糸」を張り巡らせてくださったおかげで、その「巣」は大分大きなものになってきた。だが、クモの巣は、どこか一箇所を‘プッツン’と切ってしまうと、そこから次第に「巣」は崩れていってしまう脆さも併せ持っている気もする。

 ネット上でのやりとりの、利便性・即効性その他いろんなチカラは、この公開運動を続けるなかで、本当に毎日のように痛感する。たとえば、年齢も、本名も知らない方と知らぬ間に大きな信頼が生まれていたりする。一方で、ネットならではの誤解やら失敗もないわけではない。実際、今週は自分の不用意な(web上での)発言で「ルワ会」の方々に迷惑をかけたりもした。

 だからこそ、クモの巣の糸を扱うように、慎重にやっていきたいと思う。
 
 きっと、まだまだこのクモはデッカクなる。

 追伸: 何度御礼を申し上げても足りない気がしますのでこちらでも。
      糸井さん、鈴木さん、この度は本当にありがとうございました。
     これに満足せず、今後もがんばります。 
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by hotel_rwanda | 2005-07-30 06:51 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
 この活動をはじめて以来、多くの方に「なぜそこまでこの映画にこだわるのか」という質問を頂きました。また私が2000年にルワンダ一人旅をしたことを知る方からは「ぜひそのときのことをサイトで紹介すべき」という声も多く頂きました。
 
 「ルワンダ旅行」に関しては、NGOなどを通じて救援活動・平和運動という形で現地に赴かれた方も多いと思います。その一方で、言うなれば‘好奇心’だけであの地へ向かった自分の体験をアレコレ語ることに少し抵抗がありました。しかし、せっかくこの‘活動日誌’という場をいただき、好き勝手に語らせてもらっている以上、やはりそれは避けては通れないものだと思いました。そしてその必要があると思いました。ということで、何回かに分けて「2000年ルワンダ旅日誌」的なものを掲載させて頂きたいと思います。
(と、言っても約2週間のアフリカ滞在でルワンダで過ごしたのは2日程で、その大半はケニア・ウガンダで過ごすことになったのですが・・・)

ということで、まずは「第0回」として私が2000年にルワンダに旅行するきっかけとなった、1994年当時のオハナシから。

~15歳の田舎モンの憂鬱~
 
 今でも、その新聞記事の切り抜きがあります。日付は94年5月。‘水を求めて’と題された記事。ルワンダ難民が大行列で水を抱えながら歩く写真と共に、ルワンダからタンザニアへと難民が溢れていることが伝えられています。
  
 その記事を見たとき自分は15歳、日本海沿いの小さな田舎町に住むフツーの高校1年生でした。いろんなことに期待を膨らませて入学したのはいいものの、学校では早くも2年後に控えた大学受験のハナシを毎日のように聞かされ、うんざりしていた頃です。
 
 その記事の写真、一番手前に、一人の少年が写っていました。何百人、何千人と続く難民の行列のなか、多くの人がポリタンクに詰められた重たい水を抱えながら伏目がちに歩いているなかで、彼だけがカメラのファインダー越しにこちらに向かって強い視線を投げかけていました。
 
 なにひとつ不自由のない生活を送りながらも、不満と文句を垂れ流すことばかりに時間を費やしていた自分にとって、その6歳くらいの少年の瞳は余りに強烈で、忘れることのできないものでした。
 
 そしてそれ以降、まるで「その少年のその後」を探るかのように、(そしてそんな情報はあるはずもないのですが)、連日新聞を開いては「ルワンダ関連」の記事を探し求め、ファイルする日々が続きました。そして、そうする中で、あの地で、とんでもないことが起こっていることを知りました。
 
 今振り返るに、あの当時の自分が強く感じていたのは二つの大きな‘違和感’だった気がします。

 ひとつは、15歳の自分が日本で過ごす日常と、遠いアフリカの小さな国で‘いま、当たり前のように行われていること’の途方もないギャップ。自分よりも幼い子供が否応なく殺したり、殺されたりしている。一方で、自分は‘リッパな大人になるために’ホントに役に立つのかも分からない、年号やら元素記号やら公式を次から次へとアタマに詰め込むことに多くの時間を費やしている。もちろんそれはそれで大切なことであるとはアタマでは理解しているのですが、その2つの現実の間でバランスをうまく取ることが、どうにも難しかったのでした。
「期末テストを一回受けている間に、何十人もの子供が殺されている、それはたまたまアフリカの小さな国だったけれど、これがとなりの街のハナシだったらエライことだぜ、なんかオカシナ話じゃねえか」そんな‘違和感’だった気もします。


 もうひとつは、自分がこれまで小学校・中学校と学んできた‘世界の歴史’、アウシュビッツや原爆や、といった事柄に比べても、このルワンダで起きていることは負けず劣らずの(という表現は適切ではないと思うのですが)大事件であるように思いました。15歳なりに。ところが、新聞やテレビの報道を見るに、‘どうやらそんなことはないよ’という雰囲気でした。ここでも何となく違和感を感じました。

 今でも、何をきっかけに、こういった厄介な、ありがちな‘十代の憂鬱’と自分がうまく付き合っていく術をつかんでいったのか分かりません。が、あるいは映画やロックや文学や友人・家族が、「いま、自分が見つめるべき現実」を教えてくれたのかもしれません。

 しかし、結局それは「とりあえずフタをしておいた」に過ぎなかったようです。
 
 高校を卒業し、大学に入学し、卒業を控える頃になっても‘15歳のときに感じた、考えたアレコレ’はしっかりとアタマの片隅に残っていたのでした。

 と、いうことで。学生生活最後の夏休み、海外旅行すら経験のない自分に対して周囲は「やめとけ」と口を揃えましたが、実際に自分の目で足で、ルワンダという土地を確認する旅をする決意をしたのでした。
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by hotel_rwanda | 2005-07-27 01:19 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
一説によると、マジでこの映画を公開させようというのなら、「求める会」のHPは一日一万ヒットぐらいイカないと駄目だという。開設以来一ヶ月のカウントが2万にも満たないことを考えると、とんでもない数字だ。はっきり言って今のサイトの内容じゃあそれは不可能だろう。もっと根本的に改めないと。あと、要所要所でマスメディアに取り上げてもらう必要もあろうかと思う。

なんてグダグダ言っていてもはじまらないので。

「いま、わたし(たち)にできること」
というと、どっかのキャンペーンのコピーみたいだが、結局「頻繁に更新する」ことなので、
とりあえず、この1週間のワタクシの「ルワンダ・デイズ」を振り返ります。

7月18日  先日の「第二回会議」に出席された方々の本名とハンドルネームがイマイチ一致せず、アタマを悩ます(その後解決)

7月19日   柳下毅一郎さんがコラムで「ルワ会」を紹介してくださった「漫画アクション」 発 売。バイト明け、早朝のコンビニに駆け込む。漫画雑誌を買ったのなんて数年振り。そして実際の記事に感動。田舎のばあちゃん(元教師)にも教えてあげたいところだが、「漫画アクション」内に‘ちょっとエッチな漫画’もあるので躊躇、断念。とりあえず柳下さんに御礼のメール。

7月20日  ホリエモンが「ネットはテレビを越える」と発言したことでも有名?な日本外国特派員協会で、今月下旬に『ホテル・ルワンダ』上映会の予定があるとの情報入手。何かしら協力してもらえないだろうか、ということでとりあえず電話問い合わせ。お話した方がカタコトの日本語であったが、「上映会って言ってもそんな大したもんではなくて、‘定期鑑賞会’というか、10人ぐらいで集まって映画を楽しむだけなんで、チョット協力は出来ないと思いますよ・・・」ってなことを言われる。

7月21日  某雑誌で、公開運動を取り上げてもらえるかもしれない、というお話があり、その準備に追われる。

7月22日  某映画祭の実行委員会の方と池袋にてミーティング。いろいろと参考になるお話を伺った。やはり「映画」という面と「アフリカ」という面の両方から攻めていかないといけないのだ、と実感。ちなみに、待ち合わせの際「イメージしていた方と違いました」とのご指摘を受ける。名刺を頂いた。こちらは「ただの飲み屋で働くフリーター」なので、失礼ながら名刺入れに残っていた春まで勤務していた映画館の名刺をお渡しした。Mさん、レモンティーごちそうさまでした。

さっき。   海外出張の為、しばし日本を離れた父が機内にて『ホテル・ルワンダ』を見た、との情報を母より入手。父ちゃん、この間の日記見てくれたのかね。


 と、こんな日々のなか、某ロックフェスのチケットを購入してしまった。カネとか時間の問題よりも「計画立てられるのか」が不安だ。

 (え~どれだけの方がコレ読んで頂いているのか分かりませんが、コメントどしどしお待ちしております。お返事の約束はできませんが。もう『ルワンダ』ネタじゃなくても構いません。とりあえずココを含めHP(署名運動)盛り上げていかないことにははじまりませんので。別に『ホテル・ルワンダ』に関心はなくて、単に‘ミズキ・ユータの友達’ってだけでココを覗いてくださっている方も
「なあ、そういやこないだ貸したカネ返せよ」とか、そういう伝言板に使ってもらって構いません。
そんなアナタもきっと3万だか5万だかの署名人数の中の貴重な一人ですので)

近々、こちらで「2000年ルワンダ一人旅日記」を公開させて頂こうと思いますので、ご期待・・・
してもらっても困りますが、そのつもりでいてください・・・

以上!
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by hotel_rwanda | 2005-07-23 02:07 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
 「第2回作戦会議」を経て、場所を渋谷の居酒屋に移して‘懇親会’が行われた。酒を飲みつつカタイ話は抜きにして‘フリートーク’を・・・という企画だったのだが、アルコールが入ると、やはり皆それぞれの「ホテル・ルワンダ」に対しての‘思い入れトーク’が炸裂。俺自身も恥ずかしながら「94年当時のルワンダ関連新聞記事スクラップファイル」を披露してしまった。そしてそれに対する皆サマの反応がまたアタタカク、アツイものだから、ついついこちらも調子にのってしまう。もっと時間があれば他の話題でも話をもっとしたかった。「え~フジロック行くんすか?」とかってネタもあったし。

 その後、場所を下北沢に移し、『ホテル・ルワンダ』輸入版DVDの鑑賞会。

 参加者のほとんど(全員?)が今回初めてこの作品を見る。
 渋谷から下北に移動する車内で
「もし、これで映画がトンデモナク退屈だったら、ちょっとこれから署名運動なんてやってられないよね・・・」とマイナス志向全快の心配、会話を繰り広げつつ、いざ上映。

 と、その前に。
実はこの日朝まで、本当に今日この作品を見てしまっていいものか悩んでいた。だってそもそも「俺は劇場公開映画として、日本公開作品として、この映画を見たかったんじゃないのか?それをDVDで見ちゃうのってなんか違うんでなかろうか」と。別にDVDを見てしまってそれに満足して、公開運動に支障をきたす、という心配は全くしてなかったけれど。少しばかり「初心を貫きたい」気持ちもあった。一方、活動が本格化すればするほどに「仮にも‘代表’の人間として作品を見ていないとはいかがなものか」という思いもあり。
ということで、いろいろ考えているうちに上映開始。

 開始数秒と「もたなかった」。
 映画のタイトルが出た瞬間、そしてルワンダの(実際のロケはどこでやったのだろう?)風景が
 映し出された瞬間、もう勝手に涙腺が反応していた。

 高校の授業サボって図書館の新聞で「ルワンダの記事」を見て悶々としていたあの夏から11年。
 海外に行ったことがない、飛行機にすら乗ったこともないのに「虐殺記念館」を目指しルワンダに一人で旅に出たあの秋から5年。
 いろんな想い、記憶が蘇ってきて、最初の数分は「映画を見ている」感覚がなかった。

 ものすご~く長い‘ユメ’の続きを見ているような、そんな感じ。

ということで、約2時間の上映時間のなかで、幾度と無く‘喉元と目頭’がアツクなる場面があったのだが、「映画としてどうなのか」を冷静には判断できる状態ではなかった。というかぶっちゃけた話、前日から徹夜だったので途中睡魔と格闘も交えつつ。

輸入版ということで、英語字幕だったわけだが、気がつきゃそんなことは全然気にならなくなっていた。

 これからもこの作品は何度と無く見ることになるのだろう。
 いろんな場所で、いろんな形態で。

 ただ、この日のコトは絶対に忘れちゃいかんし、忘れられん。

 映画が終わったときのみんなの何とも言えない沈黙は、「いや~ちょっとこの映画は人に薦められないよね~」というものではなく、皆が、
「マジでこの作品を公開させたい」と決意を強めていたそれだと思う。e0011583_6381040.jpg
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by hotel_rwanda | 2005-07-22 06:08 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
 渋谷のルノアール会議室にて第二回作戦会議があった。前回はちょうど一ヶ月程前。あのときはどちらかというと、その‘響きのカッコ良さ?’から作戦会議なんて言っていた気がしないでもないが、今回はまさに「会議」だった。
 
 会議室自体、最初は2時間予約していて、直前に「念のため」ということで3時間に変更したのだが。結局、「延長込み」で4時間に及ぶものになった。「間がもたないんじゃないか」なんて、一応は議長?として心配していたのが嘘みたいだった。

 このときの議事録はいずれHP内でアップされることになると思うので(と、これも任せっぱなしというわけにはいかないが)、ここでは個人的な感想を。

 前回より2倍以上、途中参加も含めると20名近くが集まったわけだが。
 そのメンツがまた凄かった。
 
 以下、前回の会議のあとにも全く同じようなことを言っていた気がするのだが敢えてもう一度こ こに記す。
 
 TV局、ラジオ局、出版社、そんな諸々に何らかの‘コネクション’がある方々。
 HPデザインの知識、イラストの技術、文章作成の技術、に秀でた方々。
 現在の職場が、映画関係の方々。

 なかでも大きかったのは‘立川シネマシティ’に勤務されている方の参加である。
 しかもそれは、個人としではなく‘立川シネマシティ’の代表としてということだ。
 今後の状況によっては、‘運動への応援’というだけに留まらず、もっと大きな動きになる可能性もあるかもしれない。
 立川シネマシティという、劇場設備としては国内(世界?)でもトップクラスの環境を誇る劇場の方が、参加してくださったことが、まずは嬉しかった。と同時に、「もっと具体的にハナシが既に進んでいる会議」だと期待してくださっていたならば申し訳ないな、という思いもあり。先日のTさんのときも、そうだったが、お話をさせてもらう方が「大きな立場」の方の度にあれこれ余計なことを考えてしまう。
 まあそういう機会は今後も増えていくだろうし、いっそこっちも「大きな立場」なのだということにしてしまおう。やっぱり「求める会」の名刺ぐらいは最低限あった方がいいのかな・・・。

 とういことで、「強力メンツ」のなかで、自分とは?なんて考えなくもなかったが。
 まあ、それぞれが「自分にできること」をやっていくしかないのだろう、結局は。

 ちょうどこの日の朝、母からメールがあった。
 「お父さんが署名を会社の若い人からもらってきた」とのこと。
 涙がでそうになりました。

 思えば、3ヶ月前(まだこの運動のことなんて想像もつかなかった頃)
 何のアテもなく、会社を辞めた俺に対して、父に
 「いま、オマエの人生のこれからの設計図を書いてみろ」と厳しく言われた気がする。

 父ちゃんよ。
 
 正直、この「ホテ・ルワ」運動の行く末すら分からないから、
 自分の人生もどうなるか分からないけどさ。

 15歳のときに(新聞で目撃した)ルワンダ大虐殺と
 21歳のときに自分で土を踏んだルワンダの大地と。

 その衝撃は、26歳になった現在の俺の「人生の設計図」にデッカイ影響を落としているわけでさ。っつうかあれからの11年間。いろんなことがあったけど、全部元を辿れば、あの高校一年生の自分が感じたことに繋がる気がするわけよ。
 それが、今回の「運動」に繋がっているのは紛れもない事実で。

 会議に参加された方々に比べると、自分には「こういうことなら俺に任せとけ!」ってことは
 少ないのかもしれないけれど。その「繋がりっぷり」が俺の唯一の武器、というか拠り所なのかもしれないよ。なんで、もうしばらく「人生、先行き不安定(と両親には映る)息子」状態は続けようと思うよ。

 

 ところで。今回の「第二回会議」内で「‘求める会’のサイトはちょっとカタイよね。もっとHPとしてオモロクないと人は寄ってこないよね」という問題が話題になり。

 だから、ってわけじゃないけれど。この‘活動日誌’、近々HP内で別に正式な‘活動履歴’?もできそうなので、ちょっと路線変更?を致したく。
 別にこの‘日誌’でオモロイもんを書こう、とかオモロクしようと思っているわけではないのですが、今後はもう少し好き勝手に書かせていただこうと思います。文章内の‘ですます調’も気分次第でございます。気分次第なのだ。気分次第だバカヤロー。

 ってことで、前回分から大分、文章の‘トーン’が変わってきているかと思いますがご了承ください。

  

 
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by hotel_rwanda | 2005-07-17 23:51 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
 フリーで映画の配給・上映をコーディネイトされているある方(Tさん)から連絡があった。

 某イベントの企画として、一日のみではあるが、『ホテル・ルワンダ』を上映したいと考えている、ということだった。 ということで「とりあえず、まずは直接お話を」ということで伺ってきた。

 この‘とあるイベント’には、背後にネームバリューのある諸々が控えており、この企画自体が実現すれば、それはおそらく世間の大きな注目を浴びることになると思われる。

 もちろん、これほどのイベントともなると、それに際してのコストというものも発生する。
 そしてその問題は決して容易いものではない。こちらとしてもできることなら、それに協力させていただきたいが、我々が集めることができるのはお金ではなく署名だけだ。

 だが。
 「この作品を、この日本で上映させたい」という強い想いは、たとえその手段・目的は違えど
 共通のものだ。そして今後、そんな‘想い’を持つ人間を増やしていくことが、自分達にできる唯一最大の‘手段’だ。映画業界に精通している方との繋がりだけが有効なコネではないはずだ。‘あくまで素人’の自分たち一人一人の力は微々たるものかもしれないが、それぞれが小さなコネクションを繋いでいけば、やがてそれが大きな波になるのではないだろうか。キレイ事、理想論かもしれないが、結局自分達ができること、信じていることはそれだけだから。

 この‘イベント’に関しては、我々が直接具体的に協力させてもらえることというのは数少ないかもしれないが、是非実現することを祈っている。それによって‘公開運動’が盛り上がってほしい、というのはもちろんだが、
もしそうならなくても、イベントが実現すれば、たとえ一日のみの企画とはいえ、少なくとも「この映画を見ることができる日本人」が増えるのだ。それはスバラシイことだ。

 
 同日夕方、雑誌「Invitation」編集部に問い合わせをした。
 今週発売された最新号に『ホテル・ルワンダ』に関する記事が出ている。(この記事自体は映画そのものの紹介で、‘公開運動への言及’はない)しかもその執筆者が、我々の‘公開運動’に際して多大なサポートを頂いている、映画評論家の町山智浩氏なのだ。
 
 ということで、‘ダメモト’で「次号で今度は‘公開運動’を取り上げてもらえませんか」と編集部に問い合わせてみた。

 結論としては、「難しいですね~」ということであった。
 まだ、公開運動自体がそこまで大きなモノになっているわけでもないし、
 そもそも「‘ビジネスとして成立が困難とされている’公開未定の映画を二ヶ月も連続で取り上げるのはちょっとね・・・」ということである。

 確かに仰る通りだ。
 ただ、結局自分達にできるのは、こんな働きかけを今後も続行していくことなのだ。
 もともとwebをきっかけとして始まったこの運動だが、そろそろその外の世界へも飛び出して
 行くべきなのだろう。

 この編集部の方も、配給会社の方々と同じことを仰っていた
 「この作品て、ビジネスとしてちょっとね・・・・」

 そういえば、『ホテル・ルワンダ』主演のドン・チードルも出演していた映画『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』で主演のショーン・ペンが言っていた気がする。

 「結局何もかも金だ、カネ・・・カネ!」と。今はこれが決してネガティブな言葉として聞こえないから不思議だ。
 さすが、ショーン・ペン。間違ったことは言っていない。

 だがショーン・ペンよ。俺らは「それ」とは違うやり方でもうしばらくジタバタしてみようかと思うよ。

 最後に、この場をお借りして、本日‘世間知らずな映画ファンの無謀な計画’に耳を傾けてくださった、Tさん、Invitation編集部の方に改めて感謝したいと思います。 
 
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by hotel_rwanda | 2005-07-14 08:11 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
3日ぶりに郵便局へ署名の集まり具合を確認に行ってきた。

丁度署名活動開始から一週間が経過。前回確認に行った際は、辛うじて1通届いていた。
それからたったの三日間で状況は変わるのだろうか、とまたしても半信半疑で郵便局へ。

一通も届いていない、ということになってなきゃあいいけれど。

窓口のオッサン(前回とは違う人)は例によって、「少々お待ちください」と言ったまま
こちらからは目の届かないところに姿を消し、なにやら物音だけが聞こえてくる。

そして確かに聞こえたのだ。「いくつかの封筒の束をワゴムで束ねている音」を。

ということで、この三日間で新たに9通、30名分の署名が郵送にて届けられた。

これまた今の活動状況を踏まえて、この数が多いのか少ないのか分からない。

まずは、いち早く署名運動に反応してくださったこの方々に感謝をしたい。
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by hotel_rwanda | 2005-07-09 10:00 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌

嵐の一ヶ月(7月8日)

mixi内での「ホテル・ルワンダ・コミュニティ」の立ち上げから、ちょうど一ヶ月が過ぎた。

それからの状況の変化を考えると、一ヶ月しか経過していないということが信じられない。
もう半年くらい過ぎた気がする。それくらいいろんなことがあった。

HP開設後、署名運動開始後は、メールでの問い合わせや
協力支援の申し出(これに関してはなかなかまだ大っぴらにできないものもあり、みなさんに伝えられないのがもどかしいのですが)も急増した。
そのなかには、もはや「映画ファンとして関わっていく次元」を超えた内容のものもある。

「お金のことには関わらず、あくまで‘署名’」という基本理念?も
最近はそうも言っていられない状況だ。

問い合わせへの返答やら何やらで、ずっとPCに向かっていると、
気がついたら無意識にバイト先(居酒屋レストラン)のメニューを打ち込んでいた。
勤務しはじめて日が浅いゆえの疲れかストレスか。

PC画面上には、一晩中連呼しつづけているメニューの名が。

とはいえ、不思議と疲れに自覚はない。疲れているとしてもそれはかつてなく心地よい疲れだ。

とりあえず、バイト先で、今度は血迷って「ご注文は『ホテルルワンダ』ですね」などと口走ることがないようにしよう。
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by hotel_rwanda | 2005-07-08 15:23 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌

ドン・チードルの友人(7月7日) 編集 | 削除

「求める会」のHP宛てに、「ドン・チードル(ホテル・ルワンダ主演)の友人」と称する日本人の方からメールが届いた。

「協力させて頂きたい」とのこと。もちろん、まだドン・チードルには、日本でのこの運動のことは
伝えていないそうだが、「来日」「プロモーション」など、我が目を疑うようなキーワードも、頂いたメールには記載されており。

正直、話が急にとてつもなくデカクなっていて、メールだけでは冷静な判断ができない。

なので「とりあえずお会いしたいのですが」と返信。

さあ、どんな返事が来るのだろう。

あまりにもタイムリーかつビッグなお話だけに、
「これって、ホンモノ?」という疑問も拭いきれない。

連絡を下さった方がココをご覧になって、お気を悪くされたら申し訳ないのですが、
「ひょっとして、‘冷やかし’かな・・・」という気持ちもゼロとは言えないのが正直なところです。
だって、本当に大きな絶好のお話なので。
もし、これが具体的に進展していけば、今抱いている疑念と、ご協力への感謝で、
もうどれだけ頭を下げればよいのやら検討もつきません。


今日は七夕だ。

思えば、自分の勝手な思いつきで「ホテル・ルワンダ・コミュニティ」をmixi内で立ち上げたのが
6月8日。ちょうど一ヶ月が過ぎようとしている。
あのときはまさかラジオで取り上げられるような活動になるとは思ってもいなかった。
嵐の一ヶ月だった。

だが、こんなもんじゃないはずだ。
まだまだデッカイ嵐が近づいてきているのを感じる。
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by hotel_rwanda | 2005-07-07 22:33 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
朝6時半、小雨のぱらつく中、夜勤のバイトが終わったその足で中野郵便局に行ってきた。
HP上で署名用紙のダウンロードを開始してから、まだ5日目。「まだ早い」という思いも少なからずあったが、早く状況を知りたい。

ということで、署名用紙の到着状況を確認しに行ってきた。
皮肉なことに、郵便物が届いているかどうかは、電話等では確認できず、実際に出向かないと分からないとのこと。行ってみるまで、無駄足になるか、ひょっとして封筒のヤマが待っているのか分からなかった。

窓口で問い合わせて数分後、郵便局のおっさんが1通の封筒を手にやってきた。

それをたったの1通と捉えるのか? 念願の1通と捉えるのか?

モノは考えようだ。確かなのは、「ソレはホントにはじまっている」ということだ。
小さな封筒を手にして、その単純な事実に少なからず感動した。

そして「公開を求める会」はここへ来て、大きな山場を迎えている。

昨日はTBSラジオの『ストリーム』で「求める会」を取り上げていただいた。
天下のTBSラジオだ。
今が勝負のときなのだろうか。すなわち、この勢いで各マスコミへのアプローチを進めていくべきなのか。それとも、映画ファンの個人レベルでジワジワと活動を口コミで、‘webコミ’で広げていくべきなのか。

鉄は熱いうちに打て? 急がば回れ?

ここのところ日替わりでその二つの考えがグルグル回っている。

‘回り’ながら‘熱い鉄’を打つことはできないもんだろうか?
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by hotel_rwanda | 2005-07-06 08:53 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌