ミズキユウタ30歳による、映画や音楽やお笑い芸人やその他イロイロについて思ったことと&何気ない日常を綴るブログです。


by hotel_rwanda
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ:『ホテル・ルワンダ』活動日誌( 167 )

‘次回最終回、自分自身のために書く’と言いながら半年以上過ぎてしまいました。

 もはや、その最終回を待っている人もいないであろうと思われますが、やっぱりコレをやらんことには先に進めないので、そして今年もあとわずかということで、「『ホテル・ルワンダ』公開後の1年」をあくまで個人的に振り返りつつ、このブログの最終回としたいと思います。

冬。
 2006年1月14日、シアターN渋谷にて遂に『ホテル・ルワンダ』公開。期待と不安のなか迎えた初日は全回満席札止めという最高の形でスタート。その後も連日大盛況。一方で、自分に対してのテレビや新聞、ラジオの取材もあれこれと。NHKニュースや、めざましテレビに出てみたり、ラジオのゲストに呼ばれてみたり。そんな中で「どんなもんじゃい!」と誇らしげにしていられたら、この頃が一番愉快痛快な日々だったのかもしれない。だが、そんな余裕は全くなく。あるとすれば、いろんな人の力でここまで漕ぎつけたのに、自分ばかりがクローズアップされてしまうことへの‘気まずさ’みたいなもの。でも実際はそんなことすら考えていなかった気がする。もう何も考えずにただただ流れに身を任せるしかなかった。


春。
 桜前線ならぬ、『ホテル・ルワンダ』前線が全国あちらこちらに散らばっていく。全国同時公開の大作映画と違って、いわゆる単館系映画は東京を筆頭に大きな都市から順次地方へと公開されていくものだが、‘時差’をもろともせず全国各地で大ヒット。このあたりから、なんだかもはや自分の手を離れて‘たくさんある映画のうちの一つ’みたいな気分にも。
5月、署名運動の縁で入社した配給会社を退社。いろんな人に‘もったいない’と言われたが、なんだかもう‘そうするしかない’ような気分になってしまった。理由を挙げろと言われても一言では表せない。ただ、自分に正直にいたかっただけ、というのはあまりに奇麗事過ぎるだろうか。


夏。
 退職後、突然、というわけでもないが、「新聞記者になろうかな」と思いつく。振り返れば‘思いつき’を頼りに何とかやってきた上京以来のこの5年半。限られた時間と知識をフル動員して勉強して、数社の新聞社の入社試験に挑むが全滅。
ちょうどその頃、短い期間だったがツタヤでバイトをしていた。なんて言うと「やっぱ映画好きだもんねえ」とよく言われたものだが、実際は「エアコンの効いた涼しい職場で、かつ真夜中に働けて、かつカワイイ女の子が多そうなところで働きたい」という映画とは全く関係のない理由からだった。が、偶然か必然か丁度その頃は『ホテル・ルワンダ』のDVDが発売される時期。なんの因果か、棚に並んだ『ホテル・ルワンダ』のパッケージを整理したり、それを借りにきた客の接客をしたりして。今思えば、結果的に映画の日本公開の目途がたっていない時期から関わってきた人間がやることとしては、最高の‘オチ’だったのかもしれない。それにしても数十枚の『ホテル・ルワンダ』のDVDが全て‘レンタル中’になっている様は実に壮観だった。
そういえば、‘辞めたり、また始めたり‘を高1以来10年以上繰り返していた‘バンド活動’に終止符を打ったのもこの夏だった。最後のライブの日は、「1月14日」と並んで今年最も記憶に残る日だった。いろんなことにケリをつける夏だった。


秋。
 ‘『ホテル・ルワンダ』日本公開決定’の報を携帯電話で突然受けてから1年が経過。1年前のことを思うと信じられないことだが、この秋には中学や高校で‘学校行事’として『ホテル・ルワンダ』の上映が行われていた学校も少なくなかったらしい。そんな中からゲスト(というか講師?)として学校に来て欲しい、という声をかけて頂くこともあり。この俺が未来ある若者に何を語れようか、と思いつつも、こういうのも‘込み’で‘『ホテル・ルワンダ』祭’は完結するのかと思い、500人の生徒を前に一人で30分話し続けるという貴重な経験をさせて頂くこともあった。他にも地方の自主上映サークルに呼んでもらったり、卒論のテーマに『ホテル・ルワンダ』を選んだ学生さんに話を聞かれたり、そんなこんなで再就職先も決まらぬまま日々は続いた。
そんなある日、目の前が真っ白というか真っ黒というか、とにかく何かヘンテコなことになった。一言で言うならば「な~んにもやる気がしなくなってしまった」のだ。バイトも全て辞め、食事もとらず、携帯の電源を切り、誰にも会わずに部屋に閉じこもる日々が続いた。‘燃え尽きてしまった’というと何だか分かりやす過ぎてイヤだが、『ホテル・ルワンダ』公開を求める会発足以来、1年以上ひたすら流れに身を任せ続けた疲れが爆発したのかもしれない。もちろん全て自分の意思でやっていたのだけれど、たった1本の映画のために犠牲にしたことも、いろいろあった。何だかワケが分からなくなって、ただただ部屋の布団の上でいろんなことを考えた。これまでの27年間の人生。これからの人生(とりあえず27年分くらい)。考えすぎて「『ホテル・ルワンダ』に関わらない方が良かったのではないか」なんてバチあたりな考えも頭をかすめたりした。まあそれ程混乱していたということなのだろう。
そんな状態から抜け出せたのは、友人の存在と、やっぱり結局映画や音楽があったからだった。


そして再び冬。
激動の2006年が終わろうとしている。

 かつて、映画監督が夢だった。

と言いながら、多くの人がそうするように、自主映画を撮ってみたり、映画学校に行ってみたり、というようなことは全くせずに、ひたすら映画館に通っていた。上京後に8mmカメラを買ったこともあったが、それを担いで街に出ることもほとんどなく、結局映画を観ていた。同い年の映画監督も珍しくない年頃になって、もはや「映画監督が夢」なんて、何も撮ろうとしていない自分は口に出せなくなったが、それでもひたすら「映画と如何に関わるか」ばかり考えていた。気がついたら、部屋の‘映画のチラシファイル’はとんでもない量になり、気がついたら居酒屋で友人と見た映画についてあ~でもないこ~でもないとケナシたり絶賛したり、そして気がついたら映画館で働いていた。結局、そんなアレコレこそが自分にとっては‘映画監督になる’ということよりも大事なことで、そして‘やるべきこと’だったのだろう。そして映画館を辞めた直後、まるで最初からそうなる予定だったかのように、『ホテル・ルワンダ』という映画に出会い、公開運動がはじまった。  
 
 自分にとっては「『ホテル・ルワンダ』を公開させること」というのは、映画監督を志しながら、結局何もせずにただ‘映画を観る’という行為を長年一生懸命やってきたプライドみたいなものがかかっていたのかもしれない。だからこそ、それが達成され、しかもその映画が多くの人に受け入れられたとき、強烈な喪失感と虚無感があったのかもしれない。

 ほんとにいろんな、貴重な経験をさせてもらった1年だったが、相変わらず悩みや不安は尽きない。そして相変わらず映画を観ている。

 この「公開まで続ける活動日誌」を書き始める以前、ブログやミクシィが今のように市民権を得る以前、そしてこの世に『ホテル・ルワンダ』という映画が生まれる以前、‘映画日記’をつけていたことがあった。観た映画の感想と自分の日常をミックスさせた日記で、それを‘エイガミタイナマイニチ’と勝手に名づけていた。
 できることなら毎日でも映画を観たい、でも‘映画みたいな毎日’を過ごせていたら別に映画なんて一本も観なくても全然困らないんじゃないだろうか、そんな自問自答からそんなタイトルをつけた。

 自分で言ってりゃ世話無いが、今年は‘映画みたいな毎日’だったのかもしれない。
そして確実に言えるのは、これからも俺は映画を見続ける、ということだ。

 ということで「『ホテル・ルワンダ』公開まで続ける日誌」はこれをもって最終回となります。ここ数回は毎回同じこと言っていますが、本当に、本当に、心から『ホテル・ルワンダ』に関わった全ての日本人に感謝します。そして映画を愛する全ての人に感謝。この際だから映画を憎む人にも感謝。っていうか映画そのものに感謝。

映画の神様、今年もたくさんの興奮をありがとう。
来年もよろしく。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-12-21 00:33 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
というわけで、結局‘ルワ会’とはナンだったのか?

前回の‘まとめ1’を書いて以来、ずっとアレコレ考えていたのだが、いくら考えても一向にまとまらない。ので、周りの人から言われたことをちょっと思い出してみる。

「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会の結成当時、会のメンバーで実際にこの映画を見ていた人間はほとんどいなかった。もちろんその後すぐに、署名運動をやっていくにあたって輸入版のDVDをみんなで見ることになるのだけれど、公開決定以降いろんな方に‘ルワ会’のことを取材して頂いたが、‘そもそもは映画を見ていない状態からはじまった’ことを話すと結構驚かれた。で、驚く人っていうのは大抵ウチらが‘この映画を通して世の中に何かを訴えようとしている人たち’だと思っていたらしい。確かに映画の中身と、あんまりポップじゃない会の名前からして、そう思われてしまうのも無理はなかったのかもしれないけど、逆にこっちからしてみれば、驚かれることに驚いた。だって、そもそもは‘観ることができない映画を何とかして観ようとしている人たち’の集まりでしかなくて、で、それがたまたまルワンダ大虐殺を描いた映画だった、というだけのことだった。もちろんその映画を見たい理由は各々異なっていたとは思うけど。

でも結局のところ、振り返ってみれば、そんな‘シンプルさ’がルワ会の原動力だった気がする。ルワンダ大虐殺とか、日本の映画市場とか、複雑なものを相手にしていただけに、逆にそれが良かったのかもしれない。観たい映画があって、それが公開される予定が無くて、でもどうしても観たくて、で、どうせなら映画館で見たいし、せっかくならそれをいろんな人と共有したい。ただそれだけのことだった。

そこに集まってきた人、っていうのは結果的にはそれはもう、ホントに凄い顔ぶれだった。中心になって動いていたのは、サラリーマン、留年学生、ジャーナリスト、フリーター、OL、ライター、ウェブデザイナー、イラストレーターに編集マン。立場や身分はみんな違うけれど、それぞれがそれぞれのやり方で各々の時間と知識とコネをフル動員して、更にはネットならでは、なのかどうかはワカランけれど、‘幸福な偶然(必然?)の出会い’も幾つかあって、ルワ会は次第に盛り上がっていった。公開決定後のマスコミの取材で、やたら自分がクローズアップされる記事もあって、それは確かに‘そういうネタ’が揃っていたから仕方が無いというか、取り上げてもらえるだけで有難いことなのだけど、結局、‘公開を求める会’が‘組織として如何にオモロイ集団だったのか’ってな角度の記事はなかった気がする。取材の場でソレを充分に強調できなかった自分の責任もあるのだけれど。学生サークルのようなノリの勢い任せの部分と、30前後の立派な社会人が集まっているだけあっての(と言ってる自分はバリバリのフリーターだったけど)ちょっとした会社みたいな組織体制。そんななかで、悩んだり、盛り上がったり、怒られたり、励まされたり。あっという間に夏が過ぎた。そして日本公開が決まった。

 とはいえ、自分に言い聞かせるようにずっと言っていたのは、「ホテル・ルワンダ」の公開を求めている人すべてが‘ルワ会’の一員である、ということだった。署名をしてくれた人もそうでない人も、でっかい意味で「ホテル・ルワンダ」に関わった全ての人の存在があって、今がある。今コレを読んでいるキミ、アナタ、オマエが、どういうきっかけでこのブログに辿り着いたのかは存じ上げませんが、これ読んでいる人も言うなれば‘ルワ会’の一員ですよ。その全ての人に、ありがとうと言いたいわけです。感謝される筋合いは無い、という人もいるかもしれないけどさ。

 もともとが‘公開を求める会’だったので、公開が決まった時点で解散する、という選択択もあった。でも‘応援する会’として存続することになった。実際に名前ほどの‘応援’ができていたのかどうかは分からないけれど、そこにあったのも凄くシンプルな理由だった。
「どうせなら、ヒットしてほしい」
署名は全国から集まっていたから、少しでもヒットして、たくさんの地域で見られるようになってほしい、という気持ちもあった。署名を集めていた立場として、責任もあった。言うなれば、映画がヒットすることとか、作品が社会に与える影響よりも、署名をしてくれた人全員が、映画館で「ホテル・ルワンダ」を見ることが大事だった。まあ結局は、ヒットしないことには、公開規模も拡がっていかないのだけれど。

 結果的に、「ホテル・ルワンダ」は‘大ヒット’映画となりました。‘お客が来ないだろう’という理由で見送られていた映画がです。その理由は、作品としての質の高さとか、メディアの力とか、タイミングの良さとか、いろいろあるのかもしれないけれど、綺麗ごとかもしれないけれど、こう思いたい。

 映画ファン一人一人の‘想い’の結晶であると。

塵も積もれば山になったというか、少なくとも、ちょうど一年くらい前、各配給会社のホームページのラインナップから、あるはずもない‘公開予定「ホテル・ルワンダ」’の情報を探していた自分は、ホントに塵でしかなかった。んで、今も塵であることには変わらないのだけれど、少なくとも、今は一人じゃない。っつうか元々一人だったわけじゃあないのだ。あちらこちらにいた‘1人’が集まって、10人になって、100人になって、んで、映画を見た人は数万人になった。同じ感覚の人はそれこそ山ほどいるのだろう。

 なんだか発泡酒の酔いが回ってきて収拾つかなくなってきたので、このぐらいにしておこうと思います。
 ほろ酔い加減で言うのも失礼だとは思いますが、最後に改めて、映画「ホテル・ルワンダ」に関わった全ての日本人、ありがとう。
 そして最後に、町山智浩さん、鈴木すずきちさん、感謝の言葉を言いたい人はホントにキリが無いのですが、このお二人の存在がなかったら、今のこの日本での「ホテル・ルワンダ」を取り巻く状況は無かったと思います。本当にありがとうございました。

 というわけで、「ホテル・ルワンダ」公開まで続ける活動日誌、これにて終了!

 と思ったでしょ。もう1回だけ書きます。書かせてください。書かなきゃならんのです。自分のために。

 次回、今度こそホントにホントの最終回。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-05-21 23:29 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
いやいやしかし、久しぶりすぎて何から書いたらいいのか分かりませんが、ハジメマシテの方ははじめまして、ちょこちょこ更新状況をチェックしてくれていた方(いるのかな?)はご無沙汰です。「ホテル・ルワンダ」、公開から4ヶ月が過ぎましたが、引き続き全国順次絶賛公開中です。

 で、突然ではありますが、「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会(現・応援する会)発足から1周年が1ヶ月後に控えた今、このブログも完結させようと思うわけです。
ということで、本日はまずは誰も覚えていないだろうけど、そして期待もしていなかっただろうけど「気が向いたときに」と予告していた‘「ホテル・ルワンダ」の感想’を。何だかかんだで、やっぱり一番肝心なコレを文章としてきちんと残しておかないとスッキリしないので。

で。
「ホテル・ルワンダ」はすごくおもしろい映画だ。以上。

結局いくら考えてもこの言葉が一番自分としては的を得ている気がするのです。ここでいう‘おもしろい’っちゅうのは‘つまんない’の反対語としての意味での‘おもしろい’という意味なのですが。

淀川センセイのように、どんなヘボ映画でも何かイイ部分を見つけられたらいいのですが、かなしいかなツマンナイ映画というのは存在するわけで。で、ツマンナイというのは、つまりは‘詰まんない’ということで、逆に(いろんなものが)‘詰まっている’映画というのはそりゃあ面白いに決まっている、と。

そういう意味では「ホテル・ルワンダ」はそれはそれはいろんなモノが詰まっていると思うのです。ルワンダ大虐殺というヘビーな事実。ドン・チードルの名演技。ハラハラドキドキの物語。エモーショナルな音楽。メッセージ性と社会性。思わず目を背けたくなるような(映画の中で描かれる)現実と、それに立ち向かう人たち。子供の笑顔と涙に、夫婦喧嘩に夫婦愛。

泣けた。考えさせられた。重かった。面白かった。哀しかった。知らなかった。衝撃だった。
この映画を見た人からいろんな感想を聞いた。そのどれもが正しいのだと思う。
つまんねえ、現実を描けていない、そんな感想もアリだと思う。
100人見て、100人が同じことしか感じないような映画よりは、いろんな感じ方ができる映画の方がオモシロイと思うのです。

なんだか、‘うまいこと’書こうとするがあまり、全然感想らしくない‘感想’になってきてしまいました。そしてまったく‘うまいこと’書けていませんが、まあ早い話、こんだけ2時間どっぷりスクリーンに釘付けにしてくれる映画は滅多にお目にかかれない、ということでした。

あくまで「ホテル・ルワンダ」は映画です。
作品が作品だけに、その肝心な事実が置き去りにされる議論や意見や感想もあるかもしれませんが、そしてそういうものがあったとしてもそれを否定もしないのが映画だとは思うのですが、自分にとっては「ホテル・ルワンダ」は他にも何作品かある大切な映画のなかの一つ、というだけです。それ以上の意味はありません。

え~何だかキリが無いので、これにて‘映画の感想’終わり。
次回は<で、結局‘ルワ会’とはナンだったのか?>について書こうと思います。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-05-14 17:01 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
ある意味では日本での公開が決定した日よりも、こないだの公開初日よりも、この2006年1月29日こそが、自分にとっての‘ゴール’なのだと思う。


今日、『ホテル・ルワンダ』を見た。


老夫婦や、カップルや、親子連れに囲まれながら映画館で観る『ホテル・ルワンダ』はDVDや試写室で見たときでは味わえない感動があった。

くどいようだが、この日にこそこの言葉を言うべきだと思うので、もう一度。

『ホテル・ルワンダ』日本公開に関わった全ての人、ありがとう。


映画を好きでホントに良かった。

肝心の感想はもはや自分が書かなくてもいろんな所でいろんな人が熱く語ってくれてるので、また気が向いたときにでも。書くかどうかは予定は未定。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-30 01:07 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
夏に輸入版のDVDで、秋に試写室で、一応『ホテル・ルワンダ』は見たのですが。しつこいようだけど、純粋な意味ではまだ‘観た’とは思っていません。

‘時間調べてチケット買って劇場に行く’ことこそが、自分にとっては‘映画を観る’ということなので。
 今すぐに『ホテル・ルワンダ』を観られる環境ではない方には申し訳ないですが、それこそがロクに映画館が無い(今はシネコンがいっぱいできたらしいけど)、田舎の富山を離れてからのこの10年近くこだわってきたことなので。で、ようやく明日は『ホテル・ルワンダ』を見ることができそうです。

ということで、この数ヶ月のこのブログを読み返してみました。

たとえば、公開が決まる前のアレコレがいろんな形で今繋がってきます。

先日アップされた日経EXRESSの‘『ホテル・ルワンダ』が公開されるまで’の記事によれば、
日本での公開が水面下で検討されはじめてきたのは、2005年の8月くらいのことだったようですが、当時はそんなことは露知らず。ちょうどその頃は、このブログの‘毎日更新宣言’をしたりもしていました。ああ、だったらもっと締まった文章書いとくべきだったなあ、と思ったり思わなかったり。

9月の日記を今読み返すと不思議な気分になります。

大阪まで毎日新聞の記者さんに話をしに、話を聞きにいったこともありました。あれから数ヶ月経ってその記者さんは、先日記事で大きく‘いよいよ公開!’と取り上げてくださいました。

公開未定の映画のチラシの配布、そして署名に協力してくださった新潟シネウインドでは実際に2006年春の『ホテル・ルワンダ』の上映が決まりました。

今日1月28日からは、猛暑のなか、ミーティングに応援として駆けつけてくださった立川シネマシティでも上映がはじまりました。

‘人の縁を大切に、感謝の気持ちを忘れずに’
ばあちゃんの言葉が例によって思い出されます。

そういえば12月に苦労しつつも書かせて頂いた原稿が掲載された雑誌が発売されました。
ecocoloという雑誌です。良かったら読んでみてください。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-28 22:53 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
2006年1月14日、映画『ホテル・ルワンダ』が遂に日本で公開されました。

劇場はシアターN渋谷。10時30分の初回から20時35分の最終回までの全5回、全て満員札止めとなりました。急遽やらせてもらうことになった‘舞台挨拶’で、「この映画の公開が当初決まらなかった理由の一つが‘日本ではお客さんが集まらないから’と言われていて・・・」と熱気で溢れ変える場内に向かって話しをしているのは、ナンだか不思議な気分でした。

とにかく、言いたいことはただ一つ。

『ホテル・ルワンダ』に関わった全てのみなさん、本当にありがとう!

一人一人の呼びかけの結晶が今日の大盛況につながったと思います。ただただ感謝です。

個人的には達成感や満足感よりも、ただただ‘ホッとした’という気持ちに尽きます。この数日は映画館がお客さんで溢れ変えるだろうという期待と、‘誰も来ないのでは?’という不安がキレイに五分五分で頭のなかをかけめぐってました。


で、半年以上も‘公開を待ち焦がれる’日記を書き続けた者として今日ここで映画の感想を述べるべきだと思うのですが。

今日は映画を見ませんでした。見れませんでした。

実はこのブログ上ではネタにしてませんでしたが、先日一足先に『ホテル・ルワンダ』の試写会に立ち合わせてもらっていました。(劇場でお金払って見てこそ!という思いも強かったのですが、取材などで‘見どころは?’と聞かれることも多く、現在の立場を踏まえて鑑賞しました)

とはいえやっぱり初日に劇場で見る、という気持ちは強かったのですが、全5回が満員で立ち見でも入場できずに諦めて帰っていく人も続出する状況です。遠くから来てくれた人もいるでしょう。試写とはいえ‘一度見た人間’が我慢すりゃあ少なくとも一人は見ることのできる人が増える、ということで、また映画館では日を改めて見ることにしました。

何となくこうなることは前日から予感はしていました。なので、自分のなかで納得させるめ、‘当日劇場に一番乗りで並ぶ’ということを計画。

AM8:15、シアターN渋谷前。初回上映の2時間前なので、さすがにお客さんはまだ誰もいませんでした。

さてさて、このブログは「日本公開まで続ける」活動日誌として長い間書いてきました。‘日誌’というよりもボヤキになっている日々も多々ありますが、この数ヶ月はネット上で一番気楽になれる、安らぐ場所でした。少しづつ増えていくアクセス数も励みになりました。本当にありがとうございます!

‘日本公開’を迎えた本日をもって、このブログはいったん終了となります。

東京の公開はまだはじまったばかりだし、これから数ヶ月かけてホテ・ルワが全国をまわっていくわけですが、今までのように‘毎日書いていく’というのは終わりです。

また何か報告すべきこと、思うことがあったときに、ふと思い出して書くかもしれません。

何はともあれ、本当にありがとうございました!
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-15 10:44 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
いよいよ明日(というか日付では‘今日’ですね)『ホテル・ルワンダ』が公開されます。
ちょっと明日劇場でどんな気持ちになるのか想像もつきません。なんて考えていたら、公開前日になって、‘舞台挨拶’をすることが決定してしまい、ちょっとしみじみしている場合じゃなくなってきました。自分で言うのもナンですが、‘ただの映画ファン’による舞台挨拶なんてのが許されるのか?という気もしますが、ご来場予定の方は広いココロで迎えてもらえると助かります。なにせ突然決定したのでかなり勢いに頼った‘挨拶’になると思いますが・・・

東京公開前日ですが、地方での上映劇場が新たに発表されました(詳しくは公式サイトの‘上映館’を)。30館に迫ろうかという勢いです。個人的には故郷・富山での上映が決まったのが嬉しいところです。(ばあちゃ~ん、富山でも上映するってよ!)

とにもかくにも今言いたいことは「みなさん本当にありがとうございました!」ということ、ただそれだけです。明日のこのブログも同じようなこと言うかもですが、『ホテル・ルワンダ』に関わった全ての人に感謝します。

気がつけばこんな時間になってしまいました。とっとと今日は寝ます。これで自分が明日の上映中に居眠りしてたら、ちょっとシャレにならんので。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-14 00:47 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
もともとは公開の見通しが立っていなかった『ホテル・ルワンダ』をみんなにすすめるために‘少しでも親近感持ってもらえるように’と書きはじめた不定期連載・アフリカ旅行記『日本海からルワンダへ』だったのですが、前置きに時間がかかっているうちに公開が決定し、そして気がつけば公開2日前になってしまいました。‘公開日までには完結させる’と宣言した手前、なんとか終わらせにゃいかん、ということで、本日遂に?やっと?最終回です。(前回分の京都~オランダ~アフリカ上陸編の前回はコチラ)面倒くさくなったので、もとい、臨場感を重視しよう、ということで、旅行にいっていたときに実際に書いていた当時の‘日記’を原文そのまま転載してみようと思います。誤字・脱字・そりゃあないだろ、な表現その他あるかもですが、‘若かったし’ということで大目に見て頂けると幸いです。それでは、2000年9月27日の日記より・・・


 満足感と虚無感と疲れと眠いので、なんだかなんもやる気がせず、ベッドの上で1時間以上ボケっとしてしまった。というわけで、ついにルワンダに来ちまった。朝の6時、宿の兄ちゃんを起こしてカンパラの宿を出てバスステーションへ。予約もせずに乗れるか不安だったがいろんな客引きの兄ちゃんに引っ張りだこにされて不安は増したが、何とか無事にバスに乗り込むことができた。結論、ウガンダ人に悪い奴はいない。
 
 で、バスの長旅パート2。ケニア~ウガンダに比べて、道は悪いし、車内は身動き取れないし、暑いしで、考えようによっちゃあサイアクだったが、そのサイアクさこそがルワンダまでの道のりの険しさなわけで。
 
 国境であんなに時間を食うとは思わなかった。「ついにここまで来た」っていう感動ももちろんあったけど、そこらじゅうに機関銃持った軍人がいて、バスの隅々までチェックされ、ビザ代支払うのも、ニセ札かどうかチェックされ、本当におっかなかったし、疲れた。が、どこにでも‘いい人’はいるもんで。その国境越えの間の不安と恐怖の時間、コンゴ人とおしゃべりをした。コンゴといえば内戦。でも彼いわく‘いい方向’に向かってるらしい。明日コンゴに戻るらしいが気をつけてください。
 
 で、ついにルワンダ上陸。そりゃあ言葉にできん。ほんの数年前にこの国で50万人が殺しあったとは信じられん。バスの中から見える景色は、こうやって紙に記すのがアホらしいほどだし、手を振ったら振り返してくれた子供の笑顔なんかは、それだけでこの旅行のモトをとったと思う。本当に信じられんが、ルワンダに来た。そりゃ涙も出るよ。まだまだ書きたいことはあるんだけど、どうしようもなく疲れたんであとでまた書く。



 ちなみにカンパラというのはウガンダの首都です。‘あとでまた書く’と宣言して書かれた‘日記’はまた後日改めて、といきたいとこですが、何せ映画公開が迫り日にちが無いのでこのまま続きを・・・富山弁がところどころにあって読みにくいかもしれませんがアシカラズ。


 現在時刻午前3時15分。↑これ書いたあと何とかフロは入って、ブレーカーが落ちたりして大変だったが、久々にゆっくりと自分の体を洗って、そのあとすぐ眠ってしまってさっき目が覚めた。ホテルの隣のバーに行ったが何も飲めず。めちゃくちゃノドが渇いた。ハラも減った。これが京都なら家の目の前に自販機もあるし、ちょっと歩きゃコンビニもあって何でも手に入る。が、ここはルワンダ。この36時間でミネラルウォーター500mlとカロリーメイト1箱とバス停で買った10円のスナックしか腹に入れとらん。こんなん書いたらまたノドが渇いてきた。まあときには我慢しよう。
 
 今は真夜中だけあって物音一つしない。ここがどこの国かさえ忘れそうになる。それにしてもルワンダで、こんなにも高級なホテルに泊まるとは夢にも思わなかったし、こんなホテルがこの国に存在することさえ想像がつかなかった。カンパラからのバスが予想外のところに止まって、ついその目の前にあったこのホテルに来た。日本人のオレですら高級と感じるくらいなんだから、ルワンダ人にとっちゃあ超高級だろう。値段もカンパラの約10倍。まあメリハリがあっていいか。
 
 なんだかこの旅の目的みたいなもんは十分果たしたような気がしてきた。本当なら虐殺記念館に行く予定だったわけで、それはもうすぐそこまで来てて、行けるもんならやっぱり行きたいけど、もう十分のような気がする。
 
 やっぱ一日一人は物乞いも見るわけで。子供の曲がっちゃあマズイ方向に曲がった手首とか、その手首を差し出して「ギブミー1シリング」とか言ってる光景は忘れたくても忘れられんし、考えようによっちゃあ平和ボケした日本人のオレが、こういう国を放浪して、別に何か人助けするわけでもなく、しまいにゃあこんなホテルにまで泊まっちまって、なんだかただの‘冷やかし’に来たみたいだ。もう十分でしょう。昨日のあの子供が笑顔で手を振ってくれただけでもう目的みたいなもんは達成されたことにしてしまおう。ちょうど旅も半分だし。おしまい。あとは少しづつ来た道を戻るだけ。あ~でもここまで来たからにはソコへ行ってみたいなあ。まあいいや。根性なしでもヘタレでもリタイアでも何でもいいや。ぶっちゃけた話、クタクタだ。寿司食いてえ、みそ汁飲みてえ、ぜいたく言うな。なんだかもうどうでもよくなってきた、体さえ無事なら。我ながらようやってるよ。歯磨いて、コンタクト入れて、後半戦の予定を立てましょう。アフリカ万歳。ありがとう。そしてよろしく。 2000年9月27日AM3:50 ルワンダ・キガリ ALPHA HOTELにて。



 ハイ、終わりです。長々とお付きあい頂いてありがとうございました。というわけで、連載開始から5ヶ月近くかかっちゃいましたが、これにて‘日本海からルワンダへ’一応、完結です。そして、‘『ホテル・ルワンダ』公開まで続ける’このブログも残すところ、あと2日分となりました。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-12 23:33 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
先日NHKが部屋に取材に来たということをお伝えしましたが、その模様、そして先日のポールさん来日の模様が夜10時のニュースで放送されました。

なんだか単純に普段見ているニュース番組に自分が映っていることが不思議でした。ちなみに部屋でインタビューをして頂くことになったため、取材日までに部屋を片付けるのが何よりも大変でした。

なにわともあれ、取材スタッフの皆さん、狭い部屋で、そして風邪をひきつつの取材、本当にお世話になりました。おかげで田舎の(テレビはNHK以外には見ない)ばあちゃんも相当に感激しています。本当にありがとうございました!

気がつけば日付は1月12日になってしまった。ってことは『ホテル・ルワンダ』公開、‘あさって’!
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-12 06:15 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌
ルワ会に‘シティテレビ中野に知り合いがいる’という人がいた縁で、ケーブルテレビのシティテレビ中野の情報番組の映画紹介に出演させてもらうことになり。行ってまいりました。この半年の『ホテル・ルワンダ』をめぐるアレコレを語らせてもらってきました。スタッフの皆さん、ありがとうございました!

そういえば、この夏、自分ほど中野南郵便局(郵送署名の送付先でした)に通った人間はいないだろうなあ。
[PR]
by hotel_rwanda | 2006-01-11 00:56 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌