ミズキユウタ30歳による、映画や音楽やお笑い芸人やその他イロイロについて思ったことと&何気ない日常を綴るブログです。


by hotel_rwanda
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最終回~まとめ<その3>~(12月21日)

‘次回最終回、自分自身のために書く’と言いながら半年以上過ぎてしまいました。

 もはや、その最終回を待っている人もいないであろうと思われますが、やっぱりコレをやらんことには先に進めないので、そして今年もあとわずかということで、「『ホテル・ルワンダ』公開後の1年」をあくまで個人的に振り返りつつ、このブログの最終回としたいと思います。

冬。
 2006年1月14日、シアターN渋谷にて遂に『ホテル・ルワンダ』公開。期待と不安のなか迎えた初日は全回満席札止めという最高の形でスタート。その後も連日大盛況。一方で、自分に対してのテレビや新聞、ラジオの取材もあれこれと。NHKニュースや、めざましテレビに出てみたり、ラジオのゲストに呼ばれてみたり。そんな中で「どんなもんじゃい!」と誇らしげにしていられたら、この頃が一番愉快痛快な日々だったのかもしれない。だが、そんな余裕は全くなく。あるとすれば、いろんな人の力でここまで漕ぎつけたのに、自分ばかりがクローズアップされてしまうことへの‘気まずさ’みたいなもの。でも実際はそんなことすら考えていなかった気がする。もう何も考えずにただただ流れに身を任せるしかなかった。


春。
 桜前線ならぬ、『ホテル・ルワンダ』前線が全国あちらこちらに散らばっていく。全国同時公開の大作映画と違って、いわゆる単館系映画は東京を筆頭に大きな都市から順次地方へと公開されていくものだが、‘時差’をもろともせず全国各地で大ヒット。このあたりから、なんだかもはや自分の手を離れて‘たくさんある映画のうちの一つ’みたいな気分にも。
5月、署名運動の縁で入社した配給会社を退社。いろんな人に‘もったいない’と言われたが、なんだかもう‘そうするしかない’ような気分になってしまった。理由を挙げろと言われても一言では表せない。ただ、自分に正直にいたかっただけ、というのはあまりに奇麗事過ぎるだろうか。


夏。
 退職後、突然、というわけでもないが、「新聞記者になろうかな」と思いつく。振り返れば‘思いつき’を頼りに何とかやってきた上京以来のこの5年半。限られた時間と知識をフル動員して勉強して、数社の新聞社の入社試験に挑むが全滅。
ちょうどその頃、短い期間だったがツタヤでバイトをしていた。なんて言うと「やっぱ映画好きだもんねえ」とよく言われたものだが、実際は「エアコンの効いた涼しい職場で、かつ真夜中に働けて、かつカワイイ女の子が多そうなところで働きたい」という映画とは全く関係のない理由からだった。が、偶然か必然か丁度その頃は『ホテル・ルワンダ』のDVDが発売される時期。なんの因果か、棚に並んだ『ホテル・ルワンダ』のパッケージを整理したり、それを借りにきた客の接客をしたりして。今思えば、結果的に映画の日本公開の目途がたっていない時期から関わってきた人間がやることとしては、最高の‘オチ’だったのかもしれない。それにしても数十枚の『ホテル・ルワンダ』のDVDが全て‘レンタル中’になっている様は実に壮観だった。
そういえば、‘辞めたり、また始めたり‘を高1以来10年以上繰り返していた‘バンド活動’に終止符を打ったのもこの夏だった。最後のライブの日は、「1月14日」と並んで今年最も記憶に残る日だった。いろんなことにケリをつける夏だった。


秋。
 ‘『ホテル・ルワンダ』日本公開決定’の報を携帯電話で突然受けてから1年が経過。1年前のことを思うと信じられないことだが、この秋には中学や高校で‘学校行事’として『ホテル・ルワンダ』の上映が行われていた学校も少なくなかったらしい。そんな中からゲスト(というか講師?)として学校に来て欲しい、という声をかけて頂くこともあり。この俺が未来ある若者に何を語れようか、と思いつつも、こういうのも‘込み’で‘『ホテル・ルワンダ』祭’は完結するのかと思い、500人の生徒を前に一人で30分話し続けるという貴重な経験をさせて頂くこともあった。他にも地方の自主上映サークルに呼んでもらったり、卒論のテーマに『ホテル・ルワンダ』を選んだ学生さんに話を聞かれたり、そんなこんなで再就職先も決まらぬまま日々は続いた。
そんなある日、目の前が真っ白というか真っ黒というか、とにかく何かヘンテコなことになった。一言で言うならば「な~んにもやる気がしなくなってしまった」のだ。バイトも全て辞め、食事もとらず、携帯の電源を切り、誰にも会わずに部屋に閉じこもる日々が続いた。‘燃え尽きてしまった’というと何だか分かりやす過ぎてイヤだが、『ホテル・ルワンダ』公開を求める会発足以来、1年以上ひたすら流れに身を任せ続けた疲れが爆発したのかもしれない。もちろん全て自分の意思でやっていたのだけれど、たった1本の映画のために犠牲にしたことも、いろいろあった。何だかワケが分からなくなって、ただただ部屋の布団の上でいろんなことを考えた。これまでの27年間の人生。これからの人生(とりあえず27年分くらい)。考えすぎて「『ホテル・ルワンダ』に関わらない方が良かったのではないか」なんてバチあたりな考えも頭をかすめたりした。まあそれ程混乱していたということなのだろう。
そんな状態から抜け出せたのは、友人の存在と、やっぱり結局映画や音楽があったからだった。


そして再び冬。
激動の2006年が終わろうとしている。

 かつて、映画監督が夢だった。

と言いながら、多くの人がそうするように、自主映画を撮ってみたり、映画学校に行ってみたり、というようなことは全くせずに、ひたすら映画館に通っていた。上京後に8mmカメラを買ったこともあったが、それを担いで街に出ることもほとんどなく、結局映画を観ていた。同い年の映画監督も珍しくない年頃になって、もはや「映画監督が夢」なんて、何も撮ろうとしていない自分は口に出せなくなったが、それでもひたすら「映画と如何に関わるか」ばかり考えていた。気がついたら、部屋の‘映画のチラシファイル’はとんでもない量になり、気がついたら居酒屋で友人と見た映画についてあ~でもないこ~でもないとケナシたり絶賛したり、そして気がついたら映画館で働いていた。結局、そんなアレコレこそが自分にとっては‘映画監督になる’ということよりも大事なことで、そして‘やるべきこと’だったのだろう。そして映画館を辞めた直後、まるで最初からそうなる予定だったかのように、『ホテル・ルワンダ』という映画に出会い、公開運動がはじまった。  
 
 自分にとっては「『ホテル・ルワンダ』を公開させること」というのは、映画監督を志しながら、結局何もせずにただ‘映画を観る’という行為を長年一生懸命やってきたプライドみたいなものがかかっていたのかもしれない。だからこそ、それが達成され、しかもその映画が多くの人に受け入れられたとき、強烈な喪失感と虚無感があったのかもしれない。

 ほんとにいろんな、貴重な経験をさせてもらった1年だったが、相変わらず悩みや不安は尽きない。そして相変わらず映画を観ている。

 この「公開まで続ける活動日誌」を書き始める以前、ブログやミクシィが今のように市民権を得る以前、そしてこの世に『ホテル・ルワンダ』という映画が生まれる以前、‘映画日記’をつけていたことがあった。観た映画の感想と自分の日常をミックスさせた日記で、それを‘エイガミタイナマイニチ’と勝手に名づけていた。
 できることなら毎日でも映画を観たい、でも‘映画みたいな毎日’を過ごせていたら別に映画なんて一本も観なくても全然困らないんじゃないだろうか、そんな自問自答からそんなタイトルをつけた。

 自分で言ってりゃ世話無いが、今年は‘映画みたいな毎日’だったのかもしれない。
そして確実に言えるのは、これからも俺は映画を見続ける、ということだ。

 ということで「『ホテル・ルワンダ』公開まで続ける日誌」はこれをもって最終回となります。ここ数回は毎回同じこと言っていますが、本当に、本当に、心から『ホテル・ルワンダ』に関わった全ての日本人に感謝します。そして映画を愛する全ての人に感謝。この際だから映画を憎む人にも感謝。っていうか映画そのものに感謝。

映画の神様、今年もたくさんの興奮をありがとう。
来年もよろしく。
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by hotel_rwanda | 2006-12-21 00:33 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌