ミズキユウタ30歳による、映画や音楽やお笑い芸人やその他イロイロについて思ったことと&何気ない日常を綴るブログです。


by hotel_rwanda
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不定期連載・日本海からルワンダへ 第0.5回~黄色いTシャツと終わらない夏の憂鬱~(8月1日)

 ということで、2000年のルワンダ旅行の話の前にもうすこ~しだけ、「ワタクシの94年」のハナシをさせて頂きたく。どうぞお付き合いクダサイ。

 夏休みも間近に控えたころには、次第に新聞・テレビでも「ルワンダ」の話題が増えつつあり。そして相変わらず、「ルワンダ記事」をスクラップしては高校の授業をサボってみたり、というワケのワカラン日々が続いていました。

 その頃のことでいまだに印象に残っていることがあります。最近では「韓流」の話題で盛り上がっている‘女性週刊誌’。あの雑誌の中吊り広告を電車の中かどこかで見かけたのです。そのなかに小さくルワンダの記事と思われる見出しがありました。
 
 記事を読んだわけではないのですが、その中吊りには「かわいそう!」という見出しと共に難民キャンプでガリガリに痩せ細りながら暮らす子供の写真がありました。普段は芸能人の誰と誰がど~なった、こうなった、ということで賑わっている雑誌です。なんだか不思議な感じはしましたが、それだけ「ルワンダがエライことになっている」んだな、と思いました。

 
 ところで。よく「ルワンダに行ったんですよ」とか「『ホテル・ルワンダ』の公開運動をやっている」と言うと、NGO団体などに参加して、いわゆる「現地のため、アフリカのため」に何かやっている、やってきた、と思われることも多いのですが。実際はそういうわけではありません。

 先日、高校時代の友人に、「当時、オマエはルワンダに6千円募金していた」と言われました。
そんなことはすっかり忘れていました。15歳の自分にその額・その行動がどんな意味を持っていたのか、もはや分かりません。友人にそのことを言われて思い出しましたが、あの夏は某テレビ局が毎年24時間に渡って繰り広げる‘募金活動’に参加してみたりもしました。富山の総曲輪という小さな商店街で黄色いTシャツ着て‘箱’を持って。
 
 そんなあれこれで、自分なかのモヤモヤが解消されていれば、ひょっとしたら今頃、海の向こうのどこかの国で、「そんな活動」をしてたのかもしれません。
 
 でも結局、自分は「ルワンダのために何かをしたい」なんてリッパなことを考えられる人間ではなかったわけで。うまく言葉にできませんが、いろんな意味で「世界のデッカさ」に対しての免疫・抵抗力?ができていなかったのだと思います。それでも「世の中はオモロイもんだよ」ってことを教えてくれたのが映画だったり音楽だったのだと思います。

 94年以降もルワンダに限らず、世界各地のいろんなところで「そ~ゆ~類のこと」は起きていました。そんななかでも平和に続いていく自分の毎日のなかで、映画とロックンロールはいつも変わらず「まあイロイロあるけど人生は楽しいもんだよ」ということに気付かせてくれている気がしました。

 映画の題材が題材なだけに、NGO・NPO団体の方々からも、この公開運動に興味を持っていただいているのは事実ですし、社会的な側面でこの映画に向きあうことは大事なことだと思います。ただ、個人的には、「ルワンダ」と「映画」という自分のなかで「核」ともいえる2つのことが重なっているという理由から、この『ホテル・ルワンダ』を日本人として劇場で見たい、多くの人に見て欲しい、という想いが一番強い気がします。 

 おそらくは、普段の僕をよく知る人からは、ここでイロイロと語っているミズキユータというのは想像もつかなかったのではないかと思います。逆に、この「公開運動」を通してワタクシを知って頂いた方は、ミズキユータが普段、一発ギャグを考えることに夢中になったり、7つも年の違うティーンエージャーと高校生みたいなバンドを組んでハシャイデいる姿は、やはり想像がつかないのではないかと思います。

 あまり自分のことをクドクドと述べるのも恐縮なのですが、確かなのは、今の自分の根っこにあるのは「映画」と「音楽」と「ルワンダ」である、ということです。

 と、いうことで。前置きが長くなってしまいました。次回は2000年のアフリカ一人旅(ケニア~ウガンダ~ルワンダでの日々)について書きたいな、と思います。
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by hotel_rwanda | 2005-08-01 00:59 | 『ホテル・ルワンダ』活動日誌