渋谷の
ルノアール会議室にて第二回作戦会議があった。前回はちょうど一ヶ月程前。あのときはどちらかというと、その‘響きのカッコ良さ?’から作戦会議なんて言っていた気がしないでもないが、今回はまさに「会議」だった。
会議室自体、最初は2時間予約していて、直前に「念のため」ということで3時間に変更したのだが。結局、「延長込み」で4時間に及ぶものになった。「間がもたないんじゃないか」なんて、一応は議長?として心配していたのが嘘みたいだった。
このときの議事録はいずれ
HP内でアップされることになると思うので(と、これも任せっぱなしというわけにはいかないが)、ここでは個人的な感想を。
前回より2倍以上、途中参加も含めると20名近くが集まったわけだが。
そのメンツがまた凄かった。
以下、前回の会議のあとにも全く同じようなことを言っていた気がするのだが敢えてもう一度こ こに記す。
TV局、ラジオ局、出版社、そんな諸々に何らかの‘コネクション’がある方々。
HPデザインの知識、イラストの技術、文章作成の技術、に秀でた方々。
現在の職場が、映画関係の方々。
なかでも大きかったのは
‘立川シネマシティ’に勤務されている方の参加である。
しかもそれは、個人としではなく‘立川シネマシティ’の代表としてということだ。
今後の状況によっては、‘運動への応援’というだけに留まらず、もっと大きな動きになる可能性もあるかもしれない。
立川シネマシティという、劇場設備としては国内(世界?)でもトップクラスの環境を誇る劇場の方が、参加してくださったことが、まずは嬉しかった。と同時に、「もっと具体的にハナシが既に進んでいる会議」だと期待してくださっていたならば申し訳ないな、という思いもあり。
先日のTさんのときも、そうだったが、お話をさせてもらう方が「大きな立場」の方の度にあれこれ余計なことを考えてしまう。
まあそういう機会は今後も増えていくだろうし、いっそこっちも「大きな立場」なのだということにしてしまおう。やっぱり「求める会」の名刺ぐらいは最低限あった方がいいのかな・・・。
とういことで、「強力メンツ」のなかで、自分とは?なんて考えなくもなかったが。
まあ、それぞれが「自分にできること」をやっていくしかないのだろう、結局は。
ちょうどこの日の朝、母からメールがあった。
「お父さんが
署名を会社の若い人からもらってきた」とのこと。
涙がでそうになりました。
思えば、3ヶ月前(まだこの運動のことなんて想像もつかなかった頃)
何のアテもなく、会社を辞めた俺に対して、父に
「いま、オマエの人生のこれからの設計図を書いてみろ」と厳しく言われた気がする。
父ちゃんよ。
正直、この「ホテ・ルワ」運動の行く末すら分からないから、
自分の人生もどうなるか分からないけどさ。
15歳のときに(新聞で目撃した)ルワンダ大虐殺と
21歳のときに自分で土を踏んだルワンダの大地と。
その衝撃は、26歳になった現在の俺の「人生の設計図」にデッカイ影響を落としているわけでさ。っつうかあれからの11年間。いろんなことがあったけど、全部元を辿れば、あの高校一年生の自分が感じたことに繋がる気がするわけよ。
それが、今回の「運動」に繋がっているのは紛れもない事実で。
会議に参加された方々に比べると、自分には「こういうことなら俺に任せとけ!」ってことは
少ないのかもしれないけれど。その「繋がりっぷり」が俺の唯一の武器、というか拠り所なのかもしれないよ。なんで、もうしばらく「人生、先行き不安定(と両親には映る)息子」状態は続けようと思うよ。
ところで。今回の「第二回会議」内で「‘求める会’のサイトはちょっとカタイよね。もっとHPとしてオモロクないと人は寄ってこないよね」という問題が話題になり。
だから、ってわけじゃないけれど。この‘活動日誌’、近々HP内で別に正式な‘活動履歴’?もできそうなので、ちょっと路線変更?を致したく。
別にこの‘日誌’でオモロイもんを書こう、とかオモロクしようと思っているわけではないのですが、今後はもう少し好き勝手に書かせていただこうと思います。文章内の‘ですます調’も気分次第でございます。気分次第なのだ。気分次第だバカヤロー。
ってことで、前回分から大分、文章の‘トーン’が変わってきているかと思いますがご了承ください。